スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--
--
Relation Entry

8/31 Happiness Letter267〔改正臓器移植法の問題点〕

皆さま、おはようございます!
本日は佐藤なおふみ党出版局長より「改正臓器移植法の問題点」と題し、メッセージをお届け致します。
☆゚・*:.。. .。.:*・゚
【佐藤なおふみ党出版局長寄稿】
29日、40代の男性が脳死判定され、改正臓器移植法に基づき、家族の承諾のみで臓器提供がなされることになりました。本人の意思確認がなく、家族の承諾のみによる臓器提供は、これが4例目です。

摘出された心臓、肺、肝臓、腎臓、すい臓、小腸、眼球は、それぞれ提供を待っている患者さんに移植されるそうですが、なんだか部品交換みたいで素直に良かったと喜べません。人間は機械じゃないんですから。

7月に改正臓器移植法が全面施行され、脳死者の臓器移植が相次ぎ、97年の臓器移植法施行以来、この8月は月間過去最多の5例の臓器移植が行われました。

改正器移植法により、脳死下では、本人の意思がなくても家族の承諾があれば臓器提供が可能になり、15歳未満の子供も臓器提供者になれるようになりました。

確かに、臓器の提供があれば、生きながらえることができる人がいます。一方、愛する家族はもう助からないが、どこかでその一部が生きて、人のお役に立てれば嬉しいと考えるドナー側の家族がいます。

この点で、双方の願いは一致しているのかもしれません。しかし、それだけで本当によいのでしょうか?

臓器移植は、もっと「脳死者本人」に焦点を当てて論じられなければなりません。

私個人は、臓器移植には反対の立場を取らせて頂いております。仮に百歩譲ったとしても、本人の承諾無き臓器提供は絶対にやるべきではありません。

医学の発達によって、人間の寿命は飛躍的に伸びました。それは、医学が“生きる”ことに対して、飽くなき探究を続けてきた結果です。

しかし、医学は“死”に対しては余りに無力であり、そこが医学の限界でもあります。だからこそ“宗教"が必要なのです。

宗教的に言えば「脳死」は「人の死」ではありません。

脳死の状態は、魂は肉体から離れていないため、まだ立派に生きています。そのような状態で臓器の摘出手術を受ければ、ドナー本人の魂は大変な恐怖と苦しみを感じます。

心臓が停止して、魂と肉体を結ぶ霊子線が切れてはじめて、人間は「死」を迎えます。

あの世や霊の存在など信じない人は、霊子線が切れた後も、自分が死んだことに気づきません。納得するためには時間がかかるからです。だから、お葬式があり、四十九日があるのです。

葬式は遺族にとっての単なるセレモニーではなく、亡くなった方の魂が自分の葬式の様子を見たり、しばらく地上にいて、魂として様々なものを見たり、聞いたりして、徐々に自分が死んだことを悟るのです。

この世に生まれてくる以上、誰しも必ず死を迎えます。死の下では全ての人が平等です。人間には生きていく権利と同時に、「安らかに死んでいく権利」があることを忘れてはなりません。

「臓器移植法」の根本にあるのは、脳死者の生命の価値と、臓器移植される方の延命とを比較考量し、霊的真実を無視して後者の生命を選ぶ行為です。

幸福実現党は日本で唯一の“宗教政党"として、宗教的見地より「改正臓器移植法」の問題に取り組んで参ります。

佐藤 なおふみ

幸福実現党 選対委員長 佐藤なおふみ

HP:http://satonaofumi.blog68.fc2.com/
31
2010
Relation Entry

Comment

Trackback

http://happinessletter.blog111.fc2.com/tb.php/277-ad39728a

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。