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Relation Entry

5/1 Happiness Letter512〔脳死は人の死ではない2〕

皆さま、おはようございます!
本日は私、こぶな将人(まさと)より、「脳死は人の死ではない」と題し、2回目のメッセージをお届け致します。
☆゚・*:.。. .。.:*・゚
【こぶな将人寄稿】

これまでの臓器移植法では「臓器提供に限り人の死」と位置づけられていましたが、改正臓器移植法は「脳死は一般に人の死」と位置付け、脳死者の身体を「死体」と表現しています。

そして、15歳未満の子供からの臓器提供ができるようになり、本人が生前に臓器提供を拒否表明していなければ、家族の同意で臓器提供が可能になりました。その結果、臓器移植の可能性が格段に広がりました。

しかし、脳死状態であっても、心臓は動いています。脳死状態で「意識が無い」ということは科学的には証明されておりません。

脳死患者が家族の呼びかけなどに反応して涙を流したり、血圧が上がるなどの反応を示すことがあり、脳死状態であっても意識があるとする見解も少なくありません。

特に、子供の脳死の場合、身長が伸び続け、歯が生え替わり、顔つきが変わる例も報告されています。

それなのに「脳死」を「人の死」と定義して良いのでしょうか?

私たちは霊的世界の真実から見て、「心停止後およそ24時間後」が本当の人間の死であると考えています。

こうした中で「脳死」を「死」と位置づけ、臓器を摘出することは「尊い生命」が合法的に奪われてしまうことを意味します。

特に、子供や乳幼児は、生前に臓器提供を拒否する意思表示を明確にしておくケースは少ないと思われます。

限られた時間内で、家族が臓器移植の是非を迫られ、子供の「死」を決めても良いのでしょうか?

当時この法案に対しては、自民・民主両党とも見識を持たず、明確な判断ができませんでした。

その結果、「議員一人一人の判断にゆだねる」という異常な形で審議が進められ、2009年7月13日、参院本会議で賛成138、反対82で可決、成立しました。

幸福実現党の立党直後の時期でもありましたが、麻生政権末期で、解散直前のドタバタの中で、十分な議論がなされないまま、すんなり改正法案が成立してしまいました。

改正臓器移植法は「人の死」とは何かを決める法律です。政局の中で法が改正され、大々的な適用が始まった現状に懸念を感じざるを得ません。(つづく)

こぶな 将人
小鮒将人

HP:http://blog.canpan.info/kobuna/
01
2011
Relation Entry

Comment

改正臓器移植法

 「臓器移植」は、「尊い生命」が合法的に奪われてしまうからいけないのでしょうか?
 臓器移植推進派の考えは、脳死の人は医学的に助ける事が出来ないので実質的に「死」と同義であるというものです。すなわち、「脳死」と死」は時間的に「ほぼ」同時であるので、この「ほぼ」を便宜的に省略しようという論理です。 そのような論理に対して、「尊い生命」が奪われるという非難は意味がありません。自分の考えを主張するだけでなく、もう少し、相手の考えも聴く耳をもたれたら良いと思慮します。
 また、「自民・民主両党とも見識を持たず、~異常な形で審議が進められ」とありますが、これは両党の思想信条とは別次元の課題なので、党派を超えた議論をしようというものであり、特段異常なことだとは思いません。
 ただ、「臓器移植」というのは、生きている臓器を移植しなければ意味がないので、「死人の臓器を移植する」ということは、そもそも論理的に自己矛盾を起しており、とても冷静な論理だとは思えません。そういう意味では異常な議決だと思います。
  • 2011⁄05⁄03(火)
  • 00:19

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